真田丸、長野と和歌山でPR合戦!?

sanada

大河ドラマの「真田丸」長野にドラマ館オープンで堺雅人氏が想いを語っています。

真田丸といえば、長野を舞台にして、波乱万丈の人生を歩んだ「真田幸村(信繁)」の人生を描いた大河ドラマですが、関係する都道府県は、大河ドラマをきっかけに、観光客を取り込もうと必死の誘致合戦を繰り広げてますね。

記事にもなっていた、長野県上田市の上田城跡地公園に「ドラマ館」を開館し、観光客を集めようとしています。

また、真田幸村(信繁)が晩年を過ごした九度山町のある和歌山県では、1月末や2月初旬に行われる合戦シーンのエキストラを大々的に募集しています。

すでに1月の分は定員一杯のようですが、ギャラは無いものの、Tシャツやお弁当が配給されるみたいです。
もちろん、メガネの人はコンタクトレンズが必要みたいですけど(笑)

この機会に、戦国武士の雑魚キャラを体験してみるのも面白いかもしれませんね。

ちなみに私は和歌山びいきなので、九度山町と真田幸村(信繁)に関するちょい豆知識をば。

実は、真田幸村(信繁)生涯49年の内、和歌山県九度山には14年しか住んでいません。
九度山に住むようになった理由は、関ヶ原の戦いに負けて、家康から高野山に蟄居を命ぜられたためなんです。
なので、望んで九度山に来たわけじゃないんですね。

なのに、ここぞとばかりに観光の目玉にするってのもなかなかおもしろいものがありますよね。

おなじように、剃刀大臣と呼ばれた外務大臣の「陸奥宗光」も紀州藩出身として、和歌山の偉人と紹介していますが、「陸奥宗光」も紀州藩を捨てて、坂本竜馬の元で働いていました。

なのに、後世で和歌山の偉人と紹介されるなんて、本人もびっくりですよね。

なぜ、こうも「真田幸村(信繁)」が有名になったかというと、大阪冬の陣で「真田丸」を築き、徳川勢に大ダメージを与えたんです。

最終的には、大阪夏の陣で討ち死にしたわけですが、何倍もの兵力を持つ敵軍と互角以上に渡り合った戦いぶりは、全国に幸村の名を広め、薩摩の島津家久は、

真田日本一の兵、古よりの物語にもこれなき由、徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候

と書き残し、幸村をたたえています。

ちなみに大河ドラマの名前となっている「真田丸」は、大阪城平野口の南に構築した土塁や石垣、堀の区画のこと。

また、「真田の抜け穴伝説」が大阪城にあるように、九度山の真田庵と真田古墳にも「真田の抜け穴伝説」があります。
現在ではその真実もわかっているのですが、想像を巡らせながら史跡をめぐるのもたのしいもんですね。